2011年03月31日
王子様からの贈り物

先日のお話…王子から贈り物が届きました(ニヤリ)
※注意…硝子の靴は入ってなかったよ(爆)
この画の他にも、CB缶と偽?レインボーヘッドライトが入ってました(・∀・)
燃料を早速調達し、困っていた方に宅配。CB缶も裸足の後輩のもとにすぐに貰われて行きましたよ!(笑)
レインボーヘッドライトは、オーナーのお気に入りになったようです(笑)
王子ありがと〜ヾ(^▽^)ノ
また別の方から物資が到着する模様…?
被災地じゃないのに何だか申し訳ないm(_ _)m(ニヤリ)(爆)
※支援物資を送ってくれた皆さん、本当にありがとーございます。
オイラは大丈夫ですが、困っている人が回りにいたので、その方々の助けになりましたヾ(^▽^)ノみんなのおかげでオイラの株価上がったかもね(笑)(自爆)
2011年03月30日
自粛について考えてみる
こんちは(。・_・。)ノ
昨晩の池上彰氏の一言…自粛が良いわけじゃないです。普段の生活を心掛けましょう。それが最後には被災地の活性化に繋がる…ちょっと言葉は違うかもですが、まぁ意味合いは同じかな?(笑)
普段の生活とは電気とか水をバンバン使おうとかそういう意味ではないと思いますが、とりあえず普段通りに生活しようという話。
食べる物は食べ、飲む物は飲む。
買うものは買うみたいな…お金が回らないと経済も停滞しちゃうしね。
気持ちも回らなくなってしまう(笑)
とりあえず、普段通りの生活が出来る場所なら普段通りの生活するのが被災地の一助になるのかもしれませんね。
昨晩の池上彰氏の一言…自粛が良いわけじゃないです。普段の生活を心掛けましょう。それが最後には被災地の活性化に繋がる…ちょっと言葉は違うかもですが、まぁ意味合いは同じかな?(笑)
普段の生活とは電気とか水をバンバン使おうとかそういう意味ではないと思いますが、とりあえず普段通りに生活しようという話。
食べる物は食べ、飲む物は飲む。
買うものは買うみたいな…お金が回らないと経済も停滞しちゃうしね。
気持ちも回らなくなってしまう(笑)
とりあえず、普段通りの生活が出来る場所なら普段通りの生活するのが被災地の一助になるのかもしれませんね。
2011年03月29日
久しぶりの…

火器弄り(ニヤリ)
地震発生から復旧作業で、なかなか自宅の片付けも出来ませんでしたが、やっと落ち着きを取り戻してきましたヾ(^▽^)ノ
一昨日、昨日と久しぶりに火器を弄りましたが…地震の影響で全ての火器がぶっ飛んだため、メンテナンスに時間がかかりそう(;´д⊂)
2日間でとりあえず6台のランタンをメンテしましたが、うち3台は微妙な感じ…そのうち1台は、オイラの修理道具では修復不可能なため、今夜旅立ちます(笑)
久しぶりに火器弄りできて楽しかったなぁ(爆)
そうそう、先日師匠からの支援物資に葉巻が…嬉し泣き(;´д⊂)(笑)
本当にありがとーございますm(_ _)m
そして、昨日は王子から色々な支援物資がヾ(^▽^)ノ
本当に助かりましたよ!オイラのワガママを聞いていただき、本当にありがとーございますm(_ _)m
皆さんに支えられて生活してます。
このお礼は、牛でめっこり…来ないとお礼しませんからね(爆)(ニヤリ)(爆)
2011年03月26日
2011年03月24日
停電戸数23日10時現在
青森507戸
岩手38877戸
宮城134996戸
福島38092戸
沿岸部の立入困難箇所の推定11万戸は見通したたず。
電気関係の災害復旧約5000名稼働中
上記他、仮設住宅対応も出始めてます(ニヤリ)まだ時間かかりますが、ちょっとした良いニュース( ´∀`)
岩手38877戸
宮城134996戸
福島38092戸
沿岸部の立入困難箇所の推定11万戸は見通したたず。
電気関係の災害復旧約5000名稼働中
上記他、仮設住宅対応も出始めてます(ニヤリ)まだ時間かかりますが、ちょっとした良いニュース( ´∀`)
2011年03月23日
2011年03月23日
支援物資を考えてみる

おはよーございます!
早朝勤務で休憩してました(ニヤリ)
各アウトドアメーカーにおいて、支援物資を集めているようなので、被災地側のニーズ(あくまで個人的意見)を考えてみました。
まず、不要と思われるもの…テント。
オイラ思うに、テントって支援物資には必要ないような気がします。
季節が季節なんで、雪中野営慣れしてない一般の人がテントだと寒い(笑)
沿岸部の荒れた状態で、テントを設営するのも困難だと思われ・・・
集めたテントの行く先が個人的に気になります(ニヤリ)
それとは逆に、寝袋とかLEDランタン、ヘッドライト、石油ストーブ、ガスストーブ、カセットコンロ、ガソリン缶、ポリタンクなんかは、沿岸部の被災地の人達にかなり喜ばれると思います。
内陸部の被災地の多くは、電気が復旧しているものの、場所によって水はダメです。
ガスについては、1ヶ月以上復旧しない見込みだし(泣)
内陸部でもカセットコンロ、CB缶が大活躍な予感!!
仙台市内については、ガソリン缶やCB缶が品薄です。
2011年03月21日
今、オイラに出来ること
仙台市はほぼ普段の生活に戻りつつあります。
だからこそ、今、オイラに出来ること…
被害が酷かった被災地の方々の現状を忘れないこと。
自分の生活を取り戻し、気持ちに余裕を持つこと。
本業を頑張ること。
正直、個人で出来ることには限界があると思います。
だからこそ、とりあえず自分に余裕を作ることが大切だと思います。
限界ギリギリでは、見えるものも見えなくなってしまう…こんな時こそ(ニヤリ)な精神(笑)
というわけで、今日は朝からガソリン入手に奔走(爆)

ガソリンゲットするのに朝7時から夕方4時までかかりました(;´д⊂)
バイク寒かった((((゜д゜;))))
とりあえず、これで一週間の通勤不安解消(ニヤリ)
※そういえば、今日simoっさんと併走しましたが、気付かれず(;´д⊂)
クラクションも虫されて…simoっさんは右に曲がっていきました(;´д⊂)
まぁ元気な姿を確認したので、良しとしますか。
だからこそ、今、オイラに出来ること…
被害が酷かった被災地の方々の現状を忘れないこと。
自分の生活を取り戻し、気持ちに余裕を持つこと。
本業を頑張ること。
正直、個人で出来ることには限界があると思います。
だからこそ、とりあえず自分に余裕を作ることが大切だと思います。
限界ギリギリでは、見えるものも見えなくなってしまう…こんな時こそ(ニヤリ)な精神(笑)
というわけで、今日は朝からガソリン入手に奔走(爆)

ガソリンゲットするのに朝7時から夕方4時までかかりました(;´д⊂)
バイク寒かった((((゜д゜;))))
とりあえず、これで一週間の通勤不安解消(ニヤリ)
※そういえば、今日simoっさんと併走しましたが、気付かれず(;´д⊂)
クラクションも虫されて…simoっさんは右に曲がっていきました(;´д⊂)
まぁ元気な姿を確認したので、良しとしますか。
2011年03月19日
笑顔を取り戻すために・・・
まず、はじめに・・・この地震で亡くなられた沢山の人達のご冥福をお祈りいたします。
また、沿岸部を始め被災された多くの方々に一日でも早く笑顔が戻ることを信じております。
震災から1週間が過ぎました。
まだ余震が続いています。
家を家族を失って、明日からさぁ頑張ろう!!とは言えません。
建物は新しくなっても、地震前の姿に元に戻ることはありません。
亡くなった方が生き返るわけでもありません。
今もなお、家族の親族の友人の安否を心配する人がいます。
誰にも見つけられずに、このまま不明者となる方もいるかもしれません。
生き残った人達で何ができるのか?
それは、亡くなった方、行方不明の方の分も精一杯生きることではないでしょうか?
オイラも今何ができるのか、真剣に考えたいと思います。
この地震を糧に、さらに日本が良くなることを信じて・・・
3月11日…悪夢の始まり…

金曜の午後、明日は野営でニヤリだな。そんなことを考えながら、過ごしていました・・・
そんなニヤリな中、会社のビルの中で地震に遭遇…
ビルのかなり上の階にいたので、揺れは酷かったです((((゜д゜;))))
その時の出来事は、一生忘れることはないでしょう。
背丈の倍はあろうかという什器が次々と倒れ、
蛍光灯は揺れに呼応するかのようにピカピカと点いたり消えたり…
女子社員の泣き叫ぶ声…
揺れが収まると予備電源に切り替わり、ビルの内部は暗くなりました。
みんな混乱している…
早く外に逃げた方がいいのでは?
いや、まだ留まるべきだ…
館内放送を待とう…
みんなそれぞれに主張するが、明らかに動揺していて冷静な判断ができていなかった。
恐怖のあまり脚が((((゜д゜;))))ガクガクなって動けない人もいる…
この時の対応は、今考えても難しいと思ってます。
結局はしばらく社内に留まった後に会社の指示で近くの避難指定場所(学校)まで逃げましたが…
揺れが収まると同時に、すぐにビル外に逃げるべきだったのか?
今回は地震後にビルが倒壊しなかったから良かったものの、
その瞬間瞬間の判断で、もしかすると命の別れ目なんて場面もあるかもしれませんね(おそらく今回の津波のように・・・)
避難しながら周りのビルに目を…
大きな倒壊もなく、余震は続くものの何とか無事。
会社からの指示で、全員帰宅命令が出ました。
交通手段もないので、みんな歩いて帰宅となりました…この時までは、津波のことは頭になかった…
途中、ワイルド1に寄るも何も買えません(;´д⊂)
雪が降りしきる中、自宅に戻ったオイラは唖然としました…
幸い外側は一見なんも変わりなく、中に入ってみると…
ありとあらゆる物が散乱。ランタンもストーブも散乱(爆)
とにかくアウトドア用品をかき集めて、保育園に向かいました。
オーナーと無事会えたヾ(^▽^)ノ
保育園の先生方には頭が下がります。ありがとうございましたm(_ _)m
それから嫁ちゃんの実家に向かい、嫁側の家族の無事を確認しストーブ、
ランタンを置いてオイラの実家に移動…この時21時過ぎくらいかな?
4号線をひたすら北上して、真っ暗な実家に到着したのが0時前だったと思います。
みんなの無事を確認していると妹から電話が…若林区荒浜で遺体が200〜300らしいよ…(?_?)
最初、妹の戯言かと思ってましたがまさか現実の出来事だったとは(;´д⊂)
必要な明かり関係の使い方を家族に教え、次の日の出社を考えて寝ましたが…
その夜は眠れず、夜中3時に仙台に向けて出発。
朝方の仙台には雪が舞ってました。

その時のラジオでは、死亡者は1000人になる見込みと報道…
地震から2日目の土曜日…
午前中、沿岸部近くにいる友人を捜索…直接会うことは出来ませんでしたが、避難所にいること、無事を確認して一安心。
午後から出社しました。
混乱の最中、各県の被害状況も不明…
安否確認で、同じ部門の沿岸部に住む後輩の行方が不明らしい…
その後輩と最後に会ったのはオイラでした。
どうやって帰りましょう?そんな質問に、とにかく帰るしかないだろう。
そう答えて、昨日別れました。
その後、情報も何も入らず何もすることが出来ず帰宅。
帰宅後、下の住人の方に声を掛けられました。
「ガソリンスタンドってどこか開いてませんか?」
詳しく事情を聞くと、旦那さんは自衛隊で沿岸部に出向いているとのこと。
いつ戻ってくるかわかりません。ポツリとそんな言葉が出ました。
避難所には灯りはあるけど、3人の子供を連れて寒い避難所生活より、毛布に包まって暗闇でも家に居たほうが温かいと自宅に留まっているとのことでした。
オイラの過剰なキャンプギアがこんなところで役に立つとは(笑)
下の住人の方に、石油ストーブ、ランタン、ガス缶、渡せる物使える物はフル活用。
キャンプやってて良かった!!
奥さんは、泣いて喜んでくれました。
でも、オイラの方が、感謝したいくらいです。
今回の被災でどれだけ自衛隊の力が必要だったか・・・
上司より日曜日は自宅待機を命じられましたが、行方知れずの後輩が心配でした。
その後輩、前週にお父さんが亡くなったばかり。
自宅のお通夜に参列していたので、自宅の場所はわかります。
地震直後に歩いて帰宅したはずなので、津波に飲み込まれる時間帯ではなかったはず。
本人はおそらく無事だろうけど…
妹が話していた荒浜の被害状況も脳裏から離れず、まさか残りの家族まで失ったのか((((゜д゜;))))
携帯も繋がらない・・・
どこかの避難所に1人で途方に暮れているかもしれない・・・
そう思うと、胸が痛い・・・。
幸い地震前に燃料は満タンにしていたので、翌日残りのガソリンを使い後輩の捜索に乗り出します。
地震3日目・・・日曜の朝
変なハイテンション・・・
ほとんど寝ていない状況なのに体って動くんですね(笑)
気持ちが体を動かすってこのことなんだなァ〜と実感しました。
明るくなるのを待って・・・沿岸部を中心に捜索開始。

海に近づくにしたがって、津波の影響が・・・
この場所から、数キロ先の後輩の自宅には道路使用不能で車での移動は無理でした。
いったん自宅に戻り、バイクに乗り換えて捜索開始・・・
避難所を転々と捜索しましたが、有力な情報を得られず・・・
沿岸部の避難所では、内陸の避難所に比べ衛生面や寒さ、食料の調達具合が目に見える形で悪いのが伝わってきました。
教室に入りきれない住民、土足の廊下に横たわる人々・・・
新聞やダンボールに包まり、寒さを凌ぐ人・・・

海に近い場所の避難所近辺の画です。
泥や津波でさらわれた物が散乱しています。
このような場所に避難所がありました。
海から数キロ、余震も続き津波の怖さが抜け切れません。

多賀城のコンビナート火災・・・近辺の臭いが酷い・・・

海からすぐの避難所に、徒歩で向かいました。
バイクでも走行不能な場所・・・





津波の危険により、避難所の機能も果たせなくなった学校・・・
ここで、オイラも途方に暮れました。
後輩自宅近辺の避難所はすべて回りました。
見つからない・・・
どこにいるんだ・・・
最悪の状況が脳裏に浮かびました。
ダメもとで後輩に電話を掛けると・・・繋がった!?
オイラの第一声は「どこにいるんだ!!」「家族は?」
聞くと、津波に飲み込まれた自宅を徒歩で探していたとのこと。
家族も着のみ着のまま無事との話・・・安心しました。
泣きそうになりました。
良かった。良かった。
すぐに後輩の居る場所に向かい、対面・・・後輩、泥まみれで裸足でした。
地震直後、3時間ちかくの徒歩の末自宅近くまで戻った後輩は、
津波に飲み込まれた地区に入ることができなく、その周辺で家族の安否確認に奔走したとのこと。
何とか家族と対面して、避難所生活を送っているとのことでした。
とりあえず、バイクに積んできたキャンプ道具を家族に渡し、後輩をオイラの自宅へ・・・
着るものと毛布、少しの食べ物を渡し、避難所へ戻しました。
後輩の家族が生きてて良かった。本当に良かった。
後輩にとっては、この2週間は本当に苦しい2週間だったと思います。
父親を失い、家を失い、これからがさらに大変だと思います。
だけど、生きていれば何とかなります。
回りのみんながサポートします。
誰かが言いました。「人が作った物なら、人さえいれば、また作れます。」
この地震で沢山の命が失われました。
今も苦しい渦中にいる方も沢山います。
生きていると信じて家族を探している方もいます。
仕事でガソリンの関係で、安否不明の家族を探しに行けない人も沢山います。
今、沿岸部や原発近隣、その他の被災地を遠く離れた家族、親族、友人、知人・・・みんなが心配しています。
今回の地震で20日現在の死亡者・不明者含め20,000人超・・・
がんばろう東北!!
がんばろう日本!!
地震前と全く同じに戻ることはないけど、必ず復興します!!復興させます!!
とりあえず、今元気な人達は上を向いて歩こう!!
心も体も疲れている人は、もう少しゆっくりしていて下さい。
さぁ、明日からまた頑張ろう!!
また、沿岸部を始め被災された多くの方々に一日でも早く笑顔が戻ることを信じております。
震災から1週間が過ぎました。
まだ余震が続いています。
家を家族を失って、明日からさぁ頑張ろう!!とは言えません。
建物は新しくなっても、地震前の姿に元に戻ることはありません。
亡くなった方が生き返るわけでもありません。
今もなお、家族の親族の友人の安否を心配する人がいます。
誰にも見つけられずに、このまま不明者となる方もいるかもしれません。
生き残った人達で何ができるのか?
それは、亡くなった方、行方不明の方の分も精一杯生きることではないでしょうか?
オイラも今何ができるのか、真剣に考えたいと思います。
この地震を糧に、さらに日本が良くなることを信じて・・・
3月11日…悪夢の始まり…

金曜の午後、明日は野営でニヤリだな。そんなことを考えながら、過ごしていました・・・
そんなニヤリな中、会社のビルの中で地震に遭遇…
ビルのかなり上の階にいたので、揺れは酷かったです((((゜д゜;))))
その時の出来事は、一生忘れることはないでしょう。
背丈の倍はあろうかという什器が次々と倒れ、
蛍光灯は揺れに呼応するかのようにピカピカと点いたり消えたり…
女子社員の泣き叫ぶ声…
揺れが収まると予備電源に切り替わり、ビルの内部は暗くなりました。
みんな混乱している…
早く外に逃げた方がいいのでは?
いや、まだ留まるべきだ…
館内放送を待とう…
みんなそれぞれに主張するが、明らかに動揺していて冷静な判断ができていなかった。
恐怖のあまり脚が((((゜д゜;))))ガクガクなって動けない人もいる…
この時の対応は、今考えても難しいと思ってます。
結局はしばらく社内に留まった後に会社の指示で近くの避難指定場所(学校)まで逃げましたが…
揺れが収まると同時に、すぐにビル外に逃げるべきだったのか?
今回は地震後にビルが倒壊しなかったから良かったものの、
その瞬間瞬間の判断で、もしかすると命の別れ目なんて場面もあるかもしれませんね(おそらく今回の津波のように・・・)
避難しながら周りのビルに目を…
大きな倒壊もなく、余震は続くものの何とか無事。
会社からの指示で、全員帰宅命令が出ました。
交通手段もないので、みんな歩いて帰宅となりました…この時までは、津波のことは頭になかった…
途中、ワイルド1に寄るも何も買えません(;´д⊂)
雪が降りしきる中、自宅に戻ったオイラは唖然としました…
幸い外側は一見なんも変わりなく、中に入ってみると…
ありとあらゆる物が散乱。ランタンもストーブも散乱(爆)
とにかくアウトドア用品をかき集めて、保育園に向かいました。
オーナーと無事会えたヾ(^▽^)ノ
保育園の先生方には頭が下がります。ありがとうございましたm(_ _)m
それから嫁ちゃんの実家に向かい、嫁側の家族の無事を確認しストーブ、
ランタンを置いてオイラの実家に移動…この時21時過ぎくらいかな?
4号線をひたすら北上して、真っ暗な実家に到着したのが0時前だったと思います。
みんなの無事を確認していると妹から電話が…若林区荒浜で遺体が200〜300らしいよ…(?_?)
最初、妹の戯言かと思ってましたがまさか現実の出来事だったとは(;´д⊂)
必要な明かり関係の使い方を家族に教え、次の日の出社を考えて寝ましたが…
その夜は眠れず、夜中3時に仙台に向けて出発。
朝方の仙台には雪が舞ってました。

その時のラジオでは、死亡者は1000人になる見込みと報道…
地震から2日目の土曜日…
午前中、沿岸部近くにいる友人を捜索…直接会うことは出来ませんでしたが、避難所にいること、無事を確認して一安心。
午後から出社しました。
混乱の最中、各県の被害状況も不明…
安否確認で、同じ部門の沿岸部に住む後輩の行方が不明らしい…
その後輩と最後に会ったのはオイラでした。
どうやって帰りましょう?そんな質問に、とにかく帰るしかないだろう。
そう答えて、昨日別れました。
その後、情報も何も入らず何もすることが出来ず帰宅。
帰宅後、下の住人の方に声を掛けられました。
「ガソリンスタンドってどこか開いてませんか?」
詳しく事情を聞くと、旦那さんは自衛隊で沿岸部に出向いているとのこと。
いつ戻ってくるかわかりません。ポツリとそんな言葉が出ました。
避難所には灯りはあるけど、3人の子供を連れて寒い避難所生活より、毛布に包まって暗闇でも家に居たほうが温かいと自宅に留まっているとのことでした。
オイラの過剰なキャンプギアがこんなところで役に立つとは(笑)
下の住人の方に、石油ストーブ、ランタン、ガス缶、渡せる物使える物はフル活用。
キャンプやってて良かった!!
奥さんは、泣いて喜んでくれました。
でも、オイラの方が、感謝したいくらいです。
今回の被災でどれだけ自衛隊の力が必要だったか・・・
上司より日曜日は自宅待機を命じられましたが、行方知れずの後輩が心配でした。
その後輩、前週にお父さんが亡くなったばかり。
自宅のお通夜に参列していたので、自宅の場所はわかります。
地震直後に歩いて帰宅したはずなので、津波に飲み込まれる時間帯ではなかったはず。
本人はおそらく無事だろうけど…
妹が話していた荒浜の被害状況も脳裏から離れず、まさか残りの家族まで失ったのか((((゜д゜;))))
携帯も繋がらない・・・
どこかの避難所に1人で途方に暮れているかもしれない・・・
そう思うと、胸が痛い・・・。
幸い地震前に燃料は満タンにしていたので、翌日残りのガソリンを使い後輩の捜索に乗り出します。
地震3日目・・・日曜の朝
変なハイテンション・・・
ほとんど寝ていない状況なのに体って動くんですね(笑)
気持ちが体を動かすってこのことなんだなァ〜と実感しました。
明るくなるのを待って・・・沿岸部を中心に捜索開始。

海に近づくにしたがって、津波の影響が・・・
この場所から、数キロ先の後輩の自宅には道路使用不能で車での移動は無理でした。
いったん自宅に戻り、バイクに乗り換えて捜索開始・・・
避難所を転々と捜索しましたが、有力な情報を得られず・・・
沿岸部の避難所では、内陸の避難所に比べ衛生面や寒さ、食料の調達具合が目に見える形で悪いのが伝わってきました。
教室に入りきれない住民、土足の廊下に横たわる人々・・・
新聞やダンボールに包まり、寒さを凌ぐ人・・・

海に近い場所の避難所近辺の画です。
泥や津波でさらわれた物が散乱しています。
このような場所に避難所がありました。
海から数キロ、余震も続き津波の怖さが抜け切れません。

多賀城のコンビナート火災・・・近辺の臭いが酷い・・・

海からすぐの避難所に、徒歩で向かいました。
バイクでも走行不能な場所・・・





津波の危険により、避難所の機能も果たせなくなった学校・・・
ここで、オイラも途方に暮れました。
後輩自宅近辺の避難所はすべて回りました。
見つからない・・・
どこにいるんだ・・・
最悪の状況が脳裏に浮かびました。
ダメもとで後輩に電話を掛けると・・・繋がった!?
オイラの第一声は「どこにいるんだ!!」「家族は?」
聞くと、津波に飲み込まれた自宅を徒歩で探していたとのこと。
家族も着のみ着のまま無事との話・・・安心しました。
泣きそうになりました。
良かった。良かった。
すぐに後輩の居る場所に向かい、対面・・・後輩、泥まみれで裸足でした。
地震直後、3時間ちかくの徒歩の末自宅近くまで戻った後輩は、
津波に飲み込まれた地区に入ることができなく、その周辺で家族の安否確認に奔走したとのこと。
何とか家族と対面して、避難所生活を送っているとのことでした。
とりあえず、バイクに積んできたキャンプ道具を家族に渡し、後輩をオイラの自宅へ・・・
着るものと毛布、少しの食べ物を渡し、避難所へ戻しました。
後輩の家族が生きてて良かった。本当に良かった。
後輩にとっては、この2週間は本当に苦しい2週間だったと思います。
父親を失い、家を失い、これからがさらに大変だと思います。
だけど、生きていれば何とかなります。
回りのみんながサポートします。
誰かが言いました。「人が作った物なら、人さえいれば、また作れます。」
この地震で沢山の命が失われました。
今も苦しい渦中にいる方も沢山います。
生きていると信じて家族を探している方もいます。
仕事でガソリンの関係で、安否不明の家族を探しに行けない人も沢山います。
今、沿岸部や原発近隣、その他の被災地を遠く離れた家族、親族、友人、知人・・・みんなが心配しています。
今回の地震で20日現在の死亡者・不明者含め20,000人超・・・
がんばろう東北!!
がんばろう日本!!
地震前と全く同じに戻ることはないけど、必ず復興します!!復興させます!!
とりあえず、今元気な人達は上を向いて歩こう!!
心も体も疲れている人は、もう少しゆっくりしていて下さい。
さぁ、明日からまた頑張ろう!!
2011年03月18日
停電戸数17日現在
追記…18日現在
本日をもって、沿岸部を除く地域の災害復旧対応は、落ち着くとの話あり。
17日13時現在の停電状況です。
青森1115戸
岩手61896戸
秋田0戸
宮城307598戸
山形0戸
福島42570戸
新潟0戸
沿岸部32万戸は見通したたず。
配電復旧稼働約1600名
送電復旧稼働約2472名
以上
本日をもって、沿岸部を除く地域の災害復旧対応は、落ち着くとの話あり。
17日13時現在の停電状況です。
青森1115戸
岩手61896戸
秋田0戸
宮城307598戸
山形0戸
福島42570戸
新潟0戸
沿岸部32万戸は見通したたず。
配電復旧稼働約1600名
送電復旧稼働約2472名
以上
2011年03月18日
2011年03月17日
原発関係通知


今日時点で、電力から出た福島原発関係の通知になります。
電力今日時点の復旧戸数については、明日掲載予定…日々作業班が頑張ってます!応援宜しくお願いしますm(_ _)m
関東圏の皆様、原発に関してはあまり心配しないよう冷静に対処願います。
また東北管内の皆様についても同様にお願いしますm(_ _)m
2011年03月17日
被災地に雪…

3月も終わりに雪…これ以上なんの嫌がらせでしょうか(;´д⊂)
避難所生活されてる皆さん、灯り点いてる?
寒い思いしてない?
現場のみんな、腹減って寒くて大変だけど、がんばろー(。・_・。)ノ
オイラも精一杯サポートするよ。
せのきんさん、どうか無事で帰ってきて下さい(。・_・。)ノ
2011年03月17日
2011年03月17日
2011年03月15日
2011年03月15日
災害復旧頑張ってます!

職場には、家族、友人を失った同僚がいます。
家が流された人もいます。
命を失った人もいます。
だけど、そんな悲しみを感じる暇もなく、災害復旧をみんな頑張ってます!
だから被災したみんな、今日もがんばろーo-_-)=○☆
こんなときこそ、(笑)って(ニヤリ)(爆)
※コメント返す時間ないかも。ごめんなさいm(_ _)m
2011年03月13日
2011年03月12日
災害復旧に協力下さいm(_ _)m


ラジオ等でも報道されてますが、飲食店やコンビニ、ガソリンスタンド関係の皆様へ…
家族の方々の安否が確認できましたら、被災者の方々のためにも可能な限り、お店を開けて下さい。宜しくお願いしますm(_ _)m
オイラも家の中めちゃめちゃでしたが、復旧サポートに向かってます。先ずは命、そしてライフライン確保でがんばろー! 続きを読む